http://www.h2.dion.ne.jp/~kyokasho/1106kousin/ABJ.htmにあったけど、削除されたみたい。
【投 稿】
韓国ドラマ「冬のソナタ」が与えたもの
J. KANG
韓国人と日本人の間に生まれたA君とBちゃんへ
二人共、もう中学生。漢字も読めるようになり、いろいろな事が分かるようになったと思います。
最近、日本では韓国ブームが起きているお陰で、あなた達のママと韓国からやってきた叔母の私も、韓国ドラマを楽しんでいます。
私はもともとドラマよりドキュメンタリーやニュースが好きだったのですが、最近はドラマも好きになりました。
今までの日本には韓国のドラマや映画、音楽などが殆どなく、アメリカなどの洋物が殆どだったのです。
近隣である中国、韓国などのアジアの国々のことより、日本はアメリカなど西洋の文化、文物に憧れ、尊重する傾向があったと思われます。
中国、韓国もまた日本に対して、特に政治・文化的な面で親しい感情を持っていない方です。
ここで今日は、中国、韓国、日本の三カ国に関する話をしてみたくなりました。
私はこの三カ国を一つの家族に例えてみました。
中国をお父さんにたとえ、韓国をお母さんにたとえ、日本を息子や娘にたとえます。
中国は、土地がひろく、人口も世界一多いことで、力があるからお父さんにたとえてみます。
また、土地の一部に広い砂漠があって、山には木や草が日本より少ないことをみて、その姿をお父さん 砂漠ははげたお父さんの頭、木が茂げっていないことで薄くなった髪の毛を想像し、外で働くお父さんのように商人気質があるために、お父さん格とみるわけです。
韓国は、土地も日本よりは狭く、山や野原の木や草が中国や日本の間くらい適当に茂げっています。韓国人は両班(やんばん)気質があります。
両班(やんばん)気質とは、簡単にいうと、商人や職人になることより学者になることを望むことです。
だから、外で働くことより、家庭のことを大事にまもりたいお母さん格とみるわけです。
お父さんより力もなく、子供より若くないけれど、お父さんと子供を見守り、幸せな家庭を望むお母さんのように、儒教の教えを大切にしている国だからです。
日本を若々しい子供格とみるのは、山には木が鬱蒼と茂げっている フサフサな髪の毛のように 雨も多く、土が肥沃で植物がよく育つ国だからです。
地震が多いのは、少し落ち着いてないまさに若者の元気さ、火山活動を若者のニキビ現象のように思うからです。
日本人は頭の回転が速く、頑張りやの自信に溢れ、まじめで、勇ましい侍気質のあることで、子供格にみるわけです。
昔々、日本が小さい子供のごろは、中国や韓国から、漢字や仏教・儒教などを教わりながら農業の仕事なども教えてもらいました。
文化的共通点が多いのも昔の交流が沢山あったからです。
日本が中高校生ぐらいに成長した頃、
母親格の朝鮮半島へ二度にわたって攻め込みました。これを朝鮮では壬辰倭乱、日本では文禄の役(1592)・慶長の役(1597)といいます。
母親の胸に刀や銃をつき付け、殺りくと強奪を繰り返しました。多くの学者や、陶工などを捕らえて連れ帰り、多くの朝鮮の国宝を奪い帰りました。
豊臣秀吉は、兵卒が朝鮮人を殺した証拠として朝鮮の人々の鼻を切り落とし、塩に付けて本国に持って帰ることを命じました。日本の何処かには今もその埋めた鼻で出来た一つの山があります。
これに対して、朝鮮の李舜臣(イ・スン・シン)将軍は鉄甲船をつくり、民衆と共に戦いましたが、中国「明」の援軍を要請しなければならなかったのです。
弱い母親はお父さんの力を借り、暴れる子供を抑えざるを得ない格好だったと言えるでしょう。
日本は、2回目の侵攻の時、秀吉の死去とともに平和交渉のため撤兵しました。
その後何百年間は、朝鮮と日本は文化交流などをし、平和な時代を送りました。
成人になった日本は、
体力的に自信がつき、欲も強くなりました。
ロシアとも戦って勝った勢いで、今度は母親の財産と家を奪おうと、36年間も母親の家に居座りつづけました。
ハングルも朝鮮のことばも抹殺しようと禁止し、名前も日本名へと強要しました。
ついに父親の国、中国も侵略しました。満州も手に入れアジアの他の国々をつぎつぎ襲いました。
ますます自分の力に自信がついた日本は、イギリスやアメリカと戦うまでになりました。
世界は大喧嘩、大戦争に荒れ果てました。
ピークを向かえた大戦争は、アメリカが原子力爆弾を使い、日本を降伏させたことで、アジアの情勢は変わりました。
朝鮮も、やっと日本の植民地から解放され、息を取り戻すことができたのです。
強いアメリカから武器を没収された日本は、
アメリカの言うことに従い、一生懸命働くことに専念しました。
もともと若くて、まじめで勤勉な日本は、世界でも指折りの優秀な経済大国になるまでに成長しました。
ものづくりについては世界に自慢できるようになり、世界の人々も日本の物をたくさん愛用しています。
戦争や争いより、金儲けに目を向けた日本は、
朝から晩まで、皆が遊んでいる時も休まず働きました。
日本のお婆さんお爺さんは腰が曲っている人が多いのをみて私は、最初不思議に思っていました。中年の人も腰が曲っている人が結構多いのです。
働かないと不安で落ち着かないほど仕事熱心なため、遊び方も下手です。
他のアジアの人々に比べ、ずっと良いもの、豊富な食べ物、多くの貯金があっても、それに満足しません。
あればあるほど欲しくなるのが人間の本能でもあるけれど、物と金に執着する傾向が隅々にみられます。
日本の家族や友人も、それぞれ金だけで繋がっているようにも見えます。
TVを見たら、金儲け基準でもの事を考えているような印象がつよいです。
アメリカ的資本主義に徹底し、熱く信奉しているように見えます。
私は韓国人ですから、日本人と比べて、確かに負け組みの一人に見えるでしょう。もし金で、負け組み勝ち組と分けるのならば。
以前は、暴力と略奪で欲しい物が手に入ると信じ、
今は、金で欲しい物が手に入ると信じているように見えます。
確かに日本人は頑張りやで、その欲しい物を、誰より多く手に入れました。
他の人々は、その怠けさを嫌う日本人の精神を羨ましく思っています。
私のような韓国人を始め周りの国の人々は、金持ちの日本人に及ばない自分自身を悔しむばかりでした。
しかし、植民地、侵略戦争の際、日本ほど陰性的で野蛮なやり方で他の国々を苦しめてきた国があったのかという気持ちがつねに残ります。
正直に言って、実は、それよりもっと憎むべき思いは、戦後から今までの日本の態度にあります。
ずたずたにされた周りの国に目をむけるどころか、慰めるどころか、強いアメリカの後ろに隠れ、意気揚々とした顔で、朝鮮人、三国人、貧乏くさい、お前らはなにものだ。汚い、臭い、うるさい、ちかづくなと言うかのような軽蔑、蔑視の視線と態度なのです。
強い国、格好いい国、金持ちとのみ付き合っていこうじゃないかと、優越感に溢れたその笑顔こそ、実はもっとも醜くて私の嫌いなところです。
いじめで苦しむ子供の気持ちを想像すれば分かるでしょう。
殴りあいの喧嘩の痛さより、陰湿で屈辱的で惨めに思わせるいじめで傷つき、いじめで苦しむ時こそ、死にたくなるほど耐えられない気持ちを。
しかし、最近すこしずつ日本は焦っています。
中国が段々景気もよくなり、大きい国の威力を発揮しだしたからです。
韓国も徐々に昔の苦しみから回復し、北朝鮮と韓国が仲良くなりつつあるのを見て、
日本が昔朝鮮人を苦しめたことで北朝鮮が復讐するのではないかと警戒しているからです。
島国独特の強迫観念ではないかと私は思っています。
大陸は、こっちがいやならあっちに行けばいいと思うから、気持ちが大胆である割にスピードが遅く、余裕もあります。
半島は、大陸的で島的な要素を二つとももっているから、不自由しない満足感から気持ちが揺るんで楽天的です。
島は取り残されている疎外感から、いつ大きな大陸に吸収されるか分からないと妄想に囚われ、攻められる前に先に攻め込みたい強迫観念を持ち、いつも気を緩めないところがあります。
これは、余り体によくないと思います。自分が自分の首をしめないと生きていけないかのように、緩んだ心を警戒し、軽蔑しています。
引き締め引き締めと、皆が張り詰めています。私の目にはそのように映ります。
いつも頑張らなければならず、いつもしっかりした姿だけ見せて、気合をいれていないといけないのか、
少しの隙間も気の緩みも弱みも見せてはいけないことは、あるべき全てではないと思います。
韓国人が昔、日本から攻められ暴力をふるわれても、また、近年は経済的に日本が成長し金持ちになっても、決して憎んで、嫉妬ばかりしてないことを、親として考えれば少し分かることだと思います。
私が韓国を母親に例えた意味を深く考えてもらえれば、またそのように思って接してくれれば今までの全てのわだかまりはなくなると信じています。
たくましく、道徳心を持った健康な子供になって欲しいとのみ願うのが母親の気持ちである以上、韓国の日本に対する文句は、母親の子供に対するそれであると思うのです。
日本人の中では、韓国、朝鮮が、昔終わった戦争のことをしつこく口にし、あれこれ干渉し、批判していると、嫌がる人が多くいます。
またその話か、うるさいな。日本のお陰で、植民地のお陰で、戦後の経済援助によって、かやぶきから瓦屋根に、ろうそくしかない家に電気をつけられるようになったじゃないか。服も与え、パンも与え、生き返るようにしてあげたのも事実じゃないか、日本のお陰じゃないか、と言う。
もっともの話です。
しかし、これは悲しい話です。
自分が母親をなぐり、けり、また親の財産を奪い、ほうり出して寒さにふるえさせ、餓えて苦しむ母親にパンをあげた、服をあげたという話にすぎません。
それを恥ずかしく思う他の日本人もいることを、韓国人は唯一の慰めにしています。
母は、昔、お父さんの酒癖にも苦しみました。
中国からもモンゴルからも侵略され、おかされました。
私は韓国の子供の服、セクトンチョゴリ(チョゴリの袖をいろいろな色の布で飾ったモンゴル風の子供服)が嫌いです。デザインが格好わるいもの。
本当の朝鮮人はモンゴル風のデザインをこのみません。もっと優雅で、品があり、もっとセンスのあるデザイン感覚をもった文化です。モンゴル風に強制された名残がそのセクトンチョゴリです。
朝鮮が宗主権を度々奪われたことを心配したいのか、またあざ笑いたいのか、日本の教科書はそれを強調することでお父さんに勝つ力、ほかの強いライバルに勝つ力を日本の子供に植え付けたいとでも思っているかのように、優越感に満ちて書いています。
結局、朝鮮は自分の力で独立してないじゃないか、朝鮮は度々宗主権を奪われた無能な民族じゃないかと朝鮮人自身もこれを嘆いてきました。
こんな朝鮮人を、日本人は甘くみるばかりか、朝鮮人は無能で怠慢な劣等民族であると決め付け、差別し軽蔑してきました。
しかし、母親は、
子供が暴れると父親に頼るしかないのです。また父親が弱くなると、子供に頼るしかないのです。
家庭円満をのぞむためには、母親が健全でないといけません。母親の弱った家族には美味しい食べ物もあたえて貰えません。服も洗って貰えません、家の中が乱れ、躾よい学問もできず、お父さんは働く意欲もなくなります。
だから、たとえ朝鮮民族が戦いに弱く、金がなくても、けっして劣等民族などではなく、むしろ尊敬し、頼り、守るべき母親の、温厚でユーモアのある民族であることを誇りに思うのです。
おなかがすいても、雨漏りがしても、両班は毅然として振る舞うだけ。そんな両班気質の韓国人を無能で、怠け者の象徴として皮肉った目でみても、卑下してもあまり気になりません。
尊く、貞淑な精神文化を何より大事に思っている朝鮮韓国人であることを、ただ心の支えにするのみです。
日本は、お金は十分あるけど、金だけでは満たされない心の闇に焦っています。
人の顔色ばかりさぐり、うかがっています。
だれが強いか、だれが自分の味方になるかばかりさぐっています。
財産が減っていくのばかり心配しています。
子供は親の財産で十分生活ができ、親は子供の働く分まで働いてしまいました。そのお陰で、子供は親を養しないたい気持をも持たなくなりました。
働く目的が曖昧になり、若者は無気力に陥っています。
勉強の目的が曖昧になり、子供も無気力になっています。
物を貰っても与えても、嬉しくもなく、大切にも思えない。
欲しくなる前に与え、欲しいと言わなくても与えたからです。
誕生日、クリスマス、正月がきても、祭りが来ても、貰いたいものがない。買って食べたいものがない。くれるのなら金の方がいいと思っているようです。
靴下に穴があいても正月まで待たない。
靴下に穴があくこともないから。
その前にすでに溢れるほどそろっているから。
色がいいから、模様が違うから、買う名目がないのが心配です。
今欲しくなくても、新しいモデルがでたらすぐに買ってあげる。
新しい物が出たら親がよろこぶ。買ってあげる理由ができたからです。
誕生日になっても、クリスマスが来ても、親は何を買ってあげたらよいか悩む。先々全部買ってあげてしまったからです。
嬉しいことがない。大事にしたいことがない。
親は金で子供をあやつり、金で隣人と付き合うために物を送り、物をもらう。
だからいつも金が必要だ。いくらあっても足りない。
食べていくための金じゃなく、ブランド品を買い、ヨットを買い、女を買い、ペットを買う為の金がもっともっと欲しいのです。
これが日本の現状です。これが日本の焦りです。
日本は儒教の教えを捨てました。
老人を保護している若者がお婆さんを自分の子供のように呼んでいる姿をみました。
「可愛いね。これを見てこらん。こうしてみて。よしよし」と、言っている姿を。
一見、親しみあふれる言動でしょうけど。
なぜ、「可愛いですね。これみてください。こうしてください。そうですそうです」と言わないかしら。
なぜ、だれもそう思わないのか。気がつかないのかしら。指摘しないのかしら。
自分より若い社長にはぺこぺこと、使わなくてもいいと言っても、自分から敬語で話する人たちが、なぜ年寄り、障害者には平気で呼び捨てするのか。
親しみの気持ちを込めた表現からだと思う前に、
車いすの人やお婆さんお爺さんは自分より弱い存在だから、自然にそうしているのではないかと思ってしまいます。
敬語を使うと親しみが損なわれると思っているからでしょうか。
自分より弱いものには強く、自分より強いものには腰がひくい。年上年下を区別するのは古くさく、親しくなれないからと考えるからなのでしょうか。
西洋式やりかたこそが何でも格好いいことでしょうか。
いくら西洋人でも、自分の親を尊重し、いくら西洋人でも、子供の前では下品な振る舞いを見せません。
西洋の子供も親を敬い、命令口調には言わないのに、
日本のこどもは親に向かって、黙れ、うるさい、出て行け等と平気で言ってもだれも干渉できません。
親は子供を怖がり、先生は子供を怖がり、大人は子供を怖がっています。
日本の先生達は、苦しみ悩み怯えながら精神セラピーに通っています。
全てマスコミの影響でしょうか。
金儲けのために、下品な番組を、人気主義番組をなりふり構わず競いあい、一日中流しています。
弱い人をタレントにさせ、皆でいじめそれを見て皆が喜び、皆が笑う番組が余りにも多いです。
タレントになった人は、またわざっと自ら馬鹿になります。金をくれるから。
いままで名優と思われた人が、今日はバラエティーのフザケをやらならないと食べていけません。それを占い師が、成功した証として証明してあげると、本人はフザケ野郎に変身した自分の勇気を自慢げに披露し、また皆は、その占い師のアドバイスを尊敬の目で祭りあげます。番組はいつもこのような形で盛り上がります。
名優だった人が、プライドも自尊心もすて、悩みに悩んでフザケやろうになったふりしてこそ食べていけるようになった姿がとても可愛そうにみえます。
日本には名優が名優として活躍しつづける場がないことが、作品がないことが、可愛そうに見えるのです。人材がないのではなく、作品がないのです。安い商品はいらないほどつくるけど、高級な作品がないことを口にする私が可笑しいのかもしれません。
金もうけだけできればいいじゃないかと思う風土があるかぎり、心の豊かさは得られないことに、何れは気がつくでしょう。
政治経済に対する知識人の討論番組が、いつの間にかポルノ話に盛り上がり、お笑い番組になってしまいます。
乱れに乱れ乱れまくらなければ、笑いを取らなければ、地味にやっていては降ろされます。
社会問題がおこったら、マスコミはそれを食い潰します。新しい問題が起こって欲しいといわんばかりに。
殺人事件、自殺事件が起こっても、もう誰も驚きません。もう誰も反応しません。
マスコミのみが毎日、新しい殺人事件、新しい自殺事件にくいつき生き生きとしています。
ドラマも、ミステリ殺人もので溢れています。本、出版物もミステリ殺人事件ものばかりベストセラーになります。
殺す方法、死ぬ方法、騙す方法、隠す方法、いじめる方法が幾らでもニュースで仕入れられるから、ドラマの素材も本の素材もいくらでも溢れ、ミステリ殺人物語はつくりやすのでしょう。
だれがもっとエッチな発想で、だれがもっと下品な言葉を使いこなし、だれがもっとふざけるかを競いあわせます。
視聴率さえ上がればと、われもわれもとまねします。
流行させたいのは、下品なことば、呼び捨てことばだけではありません。
いかに自分の家が汚いか、いかにゴミで溢れているかを、競うかのように、競わせるかのように
腐った食べ物や腐った服でゴミの山になっている部屋を見せたがり、自慢がっています。
なぜ、それを恥ずかしがらないかが不思議です。
なぜ、そんな人ばかり探し出して見せたがるかが疑問です。
なぜ、それが楽しいことなのかが分かりません。マスコミは、異常者ばかりが増えないと笑いがなくなり、ネタが切れ、商売が成り立たなくなると心配をしているように思ってしまいます。
誰がもっと男を騙して体を売って、多くの服を、高級カバンを、靴を買って集めているかを競いあわせているかのように、煽るかのように。
それを誰も問題視しません。恥ずかしく思いません。隠そうとしません。
ただ、視聴率が上がるから、金をもらえるからです。金があるから偉く、羨ましく、勝ち組みになるからです。
私が一番不思議に思うことは、一番深刻に思うことは、これらの番組に対して誰も指摘しないことです。
国民は皆テレビの奴隷にみえます。金の奴隷になっているように見えます。
私が日本の放送業者に一番切実に願いたいのは
私が日本の出版業者に一番切実に願いたいのは
私が日本の情報業者に一番切実に願いたいのは
金儲けをもっと永久にしつづけたいならば、
日本が若い世代を育て支えつづけたいならば、
直ちに道徳、倫理を取り戻し、直ちにポルノを一掃して欲しいことです。
下手に子供の好奇心を抑えたら逆に、性犯罪を起こすお恐れがあるからと言って小学生にポルノ本、ポルノビデオを買い与える親がいるという話をTV番組でみたことがありました。それに対して「難しい問題や」とは言って、もだれもそれが「だめ」だと言う人はいませんでした。先々に刺激を覚えさせることが偉い先見の目がある判断だと思っているようです。
コンビニに野放ししているワイセツ本に対して、ビニールで包むべきだと言う意見に対しても、「本の出版者が潰れる。インタネットはもっとひどいのに、本だけ規制したって意味がない」との発言しか聞こえませんでした。
皆、部分的な感覚でしかとらえてない。他人の話にしか思わない。もはや無感覚になっています。
子供が性に対して好奇心をもつのは当然のことであり、隠しつつけることでもないですが、
今の問題は、
かつて性に関する写真ぐらいがせいぜいだった昔に比べ、鮮明な映像の動画で、またストーリー化されて、それもあらゆる形態のあらゆる手法であまりにもリアルな表現をつかって子供の純粋な好奇心、純粋なトキメキ心を奪い、幼いうちに最初からショッキングで過激なストーリー、過激な動作をいきなり与えることになった深刻さを何故考えないのか、悲しく思うばかりです。
子供たちは、性とは全てそんなものであるという感覚で大きくなっていくだけでなく、
正常な男女関係、正常な家庭関係、正常な社会人関係はこうあるべきだと後になって教えたくても、
ショッキグで過激な性経験豊富なこどもが大人になって、いわゆる変態へと変わり、病的性感覚しかわからなくなっていく深刻さをなぜ指摘しないのか。
日本の成人には、ますます変態ばかり異常者ばかりが増え、いずれその産業ばかりの国に転落してしまいます。
いくら東大出の学者だ、富豪だ、立派な政治家だと褒めたたえても、もう一つ裏の異常者の顔が映るのは残念です。
日本の役者の中に品のある人に見える人が私の目には余りいないと思うのも、この様な先入観があるせいかも知れません。
品のある作品を余り作らない。金儲けを意識しすぎて、上品な娘を、上品な女優を、下品に落とします。軽薄な女に変えてしまいます。上品な俳優を育てません。下品な男しか残りません。
私は、日本で韓国の現実味のあるドラマをみてから、
日本には現実味のないドラマがほどんどであることを発見しました。
コメディードラマでもないはずなのに、やたらコミックにみせたり、
エッチなシーンを入れないと気がすまないのか、それともそれが普通なのか訳けがわからない時が多いのです。
日本のホームドラマは、やたらフザケるストーリにし、フザケル役ずくりに専念します。
内容よりはテクニクにこだわっているように見えます。
私の知っているかぎりでは、実際日本の会社で働いている社員は、そんなにフザケながら勤務していません。
実際日本の人は、知らない人とそんなにすぐ溶け合って話しません。
けれど、ドラマではやたらふざけ、やたらすぐに親しくなるぎこちないシーンばかり。ドラマだからですか?
韓国ドラマは笑ったり、怒ったり、泣いたり、フザケたりする場面が、実生活そのものの姿通りです。
実際私も、ドラマのシーンのままの生活と経験をしながら過ごしてきたからよくわかります。
映画の魅力と、ホームドラマの魅力は、それぞれ違います。映画は現実味のない世界を表現するからおもしろく、ドラマは現実の世界を表現してくれるからおもしろいのだと考えています。
子供が幼ければ幼いほど、問題の深刻さは強く残ると思います。
遊び半分で子供にビールや酒をのますことは、決して明るいジョークで終わらないのと同じことです。
肝心な基本教育に、余りにも無知です。
「人の物を触ったらだめ、人に迷惑を掛けたらだめ」これだけをしっかり教えることが、立派な教育だとは思いません。
小さいころの癖、小さいころの思い、認識はとてもとてもその影響が大きものです。
それぞれ自分自身の小さいころのことをふり返ってみればわかります。
今の自分は全て、幼いころの環境でなりたった結果であり、そのつづきであると思います。
幼いころにできた精神的コンプレクスが今の結果を生んでいることを、
潜在意識になった体験が、記憶が、知恵が、今の結果を生んでいることは、自分自身の記憶を振り返ってみれば分かります。
子供を虐待することは、とんでもない未来を意味します。
子供自身の未来はもちろん、日本全体のとんでもない未来を意味します
日本では殺人事件が多くおきます。自殺も多いですね。意識してニュースを聞けば分かります。
日本人はイザとなったら殺人、自殺でけりをつけたがっているのではないでしょうか。
殺人、自殺をしてまでも欲を満たしたい。欲張った自分の心がばれるのを恐れ、仮面で隠したい。
自分の本音が見えるのが、悟られることが、とてもとてもいけないことだと思ってはいないでしょうか。
韓国人は、悪を詐欺や横領ですませています。
韓国人は、自分の本音が見え見えでも、ばれやすい詐欺や横領の方を選びます、殺人や自殺より。
韓国人は、よく怒り、よく泣きます。また悪口ことばが世界一豊富です。
けれども韓国の文化は、けっして下品だと言われないです。
腹が立ったら悪口を浴びせて済ませます。ただその為だけの悪口ことばです。暴力より、いじめより、言葉ですませたいだけです。
また、暴れたりもします。悲しかったら、悔しかったら、腹が立ったら、いじめするよりは目の前で暴れます。怒鳴りつけます。
貯めず隠さず、その場で分かりやすく。
おなかがすいたら、金がほしかったら、少し騙します、騙されます。
けっして殺したり、自殺するまで行きたくないから、騙したり騙されたりで済ませることの意味を知っているからです。
だから、心みえみえの行動を平気でやります。
だから、心みえみえの行動に慣れています。
だから、心をみせたがります。見せ合いたがります。
韓国の政治は、腐敗したと自ら嘆きますけれど、
すぐにばれて、すぐに裁かれるほど下手なんです。
すぐにばれて、すぐに裁かれるほどしか腐敗していないのです。
腐敗のない社会、政治はあるでしょうか?
悪のない社会はあるでしょうか?
まったくない社会こそ変な社会じゃないでしょうか?
しかし、殺してしまったら後も先もなくなります。取り返しがつきません。
後悔しても反省しても、なにも意味がなくなります。
謝っても癒されることはありません。
忘れることはできません。
日本人が韓国人を殺したことを思い出してはいけませんか?
日本人が韓国人を殺したことを忘れることはできますか?
母親の言葉がうるさいですか?ひつこいですか?
だから私は韓国人であるからだけではなく、韓国を弁護し、愛し、自慢したくなります。
以前、私は日本人を羨み、日本に憧れ、日本人の心に引かれました。
韓国を卑下し、韓国の精神を非難しました。
しかし、私は初めて韓国のドラマをみて、初めて日本のドラマを見て、心は入れ替わりました。
母親の心の文化を愛し、
母親の精神を愛することを選んで生きる韓国人であることを、いまさらながら幸いと思うのです。
日本はもう大人になりました。
子をもつほどの大人になりました。
子をもって親の心がわかる大人になりました。
だから、親不孝な昔を後悔しています。
だから、日本の主婦たちは、韓国ドラマに夢中になったのではないでしょうか?
ただ単に一時期的な流行ではなく、真剣に韓国ドラマを、韓国人の役者の顔を、仮面をかぶってない韓国人の顔が好きになったのではないでしょうか?
私は、日本人の素直さを、いずれ親孝行で恩返ししたい心に変わることを想像させる日本の主婦たち、日本の女性たちの韓国ドラマずきの現象から感じています。
誰も島を襲いません。誰も島を奪いません。
韓国人のように休み、韓国人のように泣き、韓国人のように賑やかに人生を楽しむことは、けっして恥ずかしいことでもなく、けっして貧乏くさいことでもありません。金を自慢し、金に執着する資本主義だけが永遠につつく道ではなく、道徳・倫理思想こそが永遠につづく道しるべであることを知っている韓国人的な生き方、韓国人的な情緒を、皆にお勧めします。
もう一度、A君とBちゃんへ
あなた達はとても貴重な血を受けついてうまれてきた事を大事に思い、大事に振舞う資格と義務があります。
若々しく勤勉で、まじめな父親の血と、
正々堂々として、清い母親の血をうけついた貴い存在であるからです。
これからあなた達は、日本と韓国と世界の模範になるため勉強してほしいです。
これからあなた達は、日本と韓国と世界の模範になるため働いてほしいです。
これからあなた達は、日本と韓国と世界の模範になるため生きていてほしいです。
無気力、下品、見栄は、貴い存在であるあなた達には似合わないです。
無気力、下品、見栄は、貴い存在であるあなた達にはふさわしくないです。
2004年10月
叔母より。